ミュージカルコメディー「それはナイチンゲール」のロメオ
シェークスピアの「ロメオとジュリエット」のパロディー。エフライム・キシュホーン作。
1997年3月〜1998年5月「北ハルツ都市連合劇場(ハルバーシュタット)」にて。


as Romeo in "Es war die Nachtigall", Musical Comedy by Ephraim Kishon, a
Parody of Shakespeare's " Romeo and Juliet ", March 1997-May 1998 at
"Nordharzer Staedtebundtheater (Halberstadt) "

あらすじ

時と所
: ヴェローナ、1623年(シェークスピア作品が書かれてから29年後)

登場人物:

田辺とおる(二役)

ロミオ・モンタギュー(バレェ教師)
ロレンツォ神父(98歳)

シビッレ・ノルトマン(Sybille Northmann・三役):

ジュリエット・モンタギュー−キャプレット
ルクレツィア(ロミオとジュリエットの娘、17歳)
ジュリエットの元乳母(90歳)

グンター・ヘンツェ(Gunther Henze):
ウィリアム・シェークスピア (今は亡き詩人)

(あらすじ中の歌詞・セリフ、新聞評などの日本語訳は特記以外田辺とおる)


ロミオとジュリエットはあの時実は、死んではいなかった。シェークスピアを騙して作品を終わらせるための芝居だったのだ。そして29年。結婚生活は倦怠期を迎え、バレェ教師で糊口をしのぐロミオはお腹の贅肉も気になる中年。さかんにセロリと大根(精力剤)をあてがわれるものの夜の方はさっぱりままならず、ジュリエットのイライラはおさまらない。金切り声をあげる妻に脅えたロミオが密かに愛を捧げるのはリーザ。いずこかの美女ではない。ゴムの湯たんぽ。在宅中は終始お腹にリーザを挟んでいるのが、ロミオのはかない挑発である。娘がひとりいる。ルクレツィア、反抗期盛りの17歳。


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第一幕

写真1 写真2


朝。ゆうべも満足させてもらえなかったジュリエットの寝起きは悪い。朝食のテーブルについたロミオは、愛の燃え盛っていた時代のドラマをシェークスピア原作のセリフを引用して語ってなだめようとするが(写真1)、いつもの通り結局は夫婦喧嘩に落ち着いてしまう(写真2)。あてつけがましく「お使いにいくわ。大根買ってくるから洗い物しておいて頂戴!」とジュリエット。侘びしい「洗い物の歌」を歌うロミオ。

写真3

そこにジュリエットの元乳母登場。ジュリエットの母が病気だと聞いてロミオは「遺産はお前にも分配される訳なのだが、ところでお前は階段で足をすべらしたことなんかはないかねぇ?」と思わせぶりに乳母をけしかける。90才で目も耳も遠い乳母だがこのなぞ掛けには気付き、二人は計画の成就を期してタンゴを躍る(写真3)。舞台裏からジュリエットの声(録音)。慌てて立ち去る乳母。一人残ったロミオのアリアは「役者が乳母からジュリエットに早変わりする間、ぼくは歌ってつながなきゃならない!!」(写真4)。ロミオは仕事に出掛ける。


買い物から帰ったジュリエットが家事をグチるアリアを歌う間に、ロミオ役者は、かつてシェークスピア原作で二人の婚姻を仲立ちしたロレンツォ神父に早変わりして登場。98歳になって話もよく通じない神父は、老いてシェークスピア時代の思い出のみに生きており、その口からは巨匠の悲劇のセリフばかりがこぼれる。そのうちロミオとハムレットを混同して、ジュリエットをオフェーリアと思い込む神父(写真5)。ジュリエットが夫婦の性的不和を懺悔しても「セックスプロブレムはきょうび当たり前」と神父はまともに取り合わず、陽気に退出する。憮然とするジュリエット。そこにロミオが帰宅する。お互いがお互いの仏頂面に立腹して夫婦喧嘩再燃。

すると額縁のシェークスピアが「そんな風にお前たちを書いたおぼえはない」と仲裁にはいる。「あんたの戯曲の最後までは付き合ってあげたけど、それから29年はあたし達の意志で生きて来たのよ」とはジュリエット。ロミオも加勢する(写真6)。

ジュリエットは娘ルクレツィアを起こしにいく。早変わり。眠い目をこすりながらルクレツィア登場。老シェークスピアはギャルにすっかり悩殺され、娘もいかした爺さんに一目惚れ。不埒なと怒るロミオを尻目に二人は手に手をとって退場してしまう(写真7)。

早変わりして登場したジュリエットに二人の逐電を訴えるロミオ。ジュリエットがとりあわないとみるや一世一代の決心で離婚をもちだすが、案の定相手にされない。お手伝いを雇うの雇わないのというジュリエットと話がすれ違うままに、いつもの夫婦喧嘩が展開され、混乱の内に幕。

写真4 写真5
写真6 写真7



第2幕

翌朝。一幕開始と全く同様の寝覚め風景。「朝の抱擁や如何に、愛しき妻よ」というのは、中年ロミオの単なる毎日の社交辞令にすぎない。ところが今朝はジュリエットが飛び起きて「もちろんですとも!」「どうしたお前?!いつも『寝かしといて頂戴よ、あんた足冷たいんだから』と言うじゃない」「それは昨日までのこと。あなたお手伝いさん雇ってくれたじゃないの・・・・」。抱き付くジュリエットから必死に逃れようとする性的不能のロミオ。やがて二人のやりとりが原作の有名な口論をもじった二重唱になっていく。

ジュリエット「去う(いなう)とや? 夜はまだ明きゃせぬのに。怖がってござるお前の耳に聞こえたは雲雀ではなうてナイチンゲールであったもの。夜毎に彼処の柘榴へ来て、あのやうに囀りをる。なア、今のは一定(きっと)ナイチンゲールであらうぞ。」

ロミオ「いやいや、旦(あさ)を知らする雲雀じゃ、ナイチンゲールの声ではない。恋人よ、あれ、お見やれ、意地の悪い横縞めが東の空の雲の裂目にあのやうな縁(へり)を附けをる。夜の燭火(ともしび)は燃え尽きて、嬉しげな旦(あした)めが霧立つ山の嶺(いただき)にもう足を爪立てゝゐる。速う往(い)ぬれば命助かり、停まれば死なねばならぬ。」(坪内逍遙訳)

写真8(写真をクリックすると拡大します)


昨日同様(一昨日とも。ようするに日常)、悪態ついて洗い物を命じ、セロリと大根を買いにでかけるジュリエット。しかし今日のロミオはすぐに洗い物には取り掛からず、さも大事そうに腹巻きに挟んだリーザを取り出して頬擦りし、万感の思いを込めて熱烈な愛の歌をささげる。(写真8)


リーザに捧げるロミオの愛の歌

おおリーザ、お前は僕のすべてだ。
お前のまなざしに僕は震える。
お前のボディーラインはなんとも美しい。
どんな規格にもあてはまらないし、
僕にとっては「完璧」のひとことに尽きる。
そして僕に幾多の至福の時を贈ってくれたのだ。

おおリーザ、リーザ。
限りなく、イッヒ・リーベ・デッヒ。
おおリーザ、リーザ、満タンでも空っぽでも。
お前は、ロミオをいつも幸せにしてくれる。
お前は、そこらの女どもより余程すばらしい。
お前の、柔らかなゴムのボディーのお蔭で。
おおリーザ、リーザ。
限りなく、イッヒ・リーベ・デッヒ。

〔 語り 〕

初めて彼女にお湯を注いだ夜を思い出す。
外はどしゃぶり、内は凍えるほど寒かった。
彼女を布団にしのばせたその時、
ふくよかな温かさが立ちのぼったものだ。
もはや僕は、孤独ではなかった。
僕は一生の愛を見いだしたのだ、リーザ。


夜ごとお前は、僕の耳元でゴロゴロいっている。
それは天使のコーラスよりも甘美な調べだ。
なんという、言い尽くせぬ魅力なのだろう。
お前を胸にかたく押しつけると、
足の先まで僕を温めてくれる。
この幸せは誰にもわかるまい。

おおリーザ、リーザ。
限りなく、イッヒ・リーベ・デッヒ。
おおリーザ、リーザ、満タンでも空っぽでも。
お前は、ロミオをいつも幸せにしてくれる。
お前は、そこらの女どもより余程すばらしい。
お前の、柔らかなゴムのボディーのお蔭で。
おおリーザ、リーザ。
限りなく、イッヒ・リーベ・デッヒ。

〔 語り 〕
他の湯たんぽでも試したが、だめだった。
まるで重婚したような気分だった。

僕の愛の歌が響きわたり、
天国の扉にまで届き、
全世界に知れわたることだろう。
現世でも、来世でも、
かつてこれ程幸せなカップルはいなかった。
リーザとロミオのような。


ロミオ、リーザを大切に枕の下に納めて、夢見心地で朝の着替えに退場。入れ替わりにジュリエット帰宅。娘ルクレツィアの部屋に入って行き「いいかげんに宿題でもしなさい」「ママなんて大っ嫌い。ウィリー(シェークスピア)と駆け落ちしてやるから!!」と親子喧嘩。ジュリエット役者は舞台裏で親子の声色を使い分ける。ピシャッと頬を打つ音。さすりながら泣き顔で部屋からでてきたのは娘の方ではなく、ママ・ジュリエットだった。「あんな子に育てた覚えはない・・・」とベットを見れば、リーザ。「元はといえばお前のせいよっ」とジュリエットは、ロミオのリーザに寄せる愛の歌のメロディーで歌いはじめる。



リーザを憎むジュリエットの歌

ちょいとあんた、あんたが全部悪いのよっ。
ああ、あんたに骨の二三本もあったなら
あたしゃ喜んでへし折ってやったのに。
ところが、あんたときたら口もきけやしない。
プルンプルン言うしか能ないじゃない。
ああ、首でもしめてやりたいとこなのに。

おおリーザ、リーザ。
限りなく、イッヒ・ハッセ・デッヒ。(あたしはお前を憎む)
おおリーザ、リーザ、満タンでも空っぽでも。
お前の、どこに一体ロミオは惚れたの?
お前の、どこがそんなにセクシーだってのよっ。
お前の、ふにゃふにやのゴムのボディーがさっ。
おおリーザ、リーザ。
限りなく、イッヒ・ハッセ・デッヒ。

神父再び登場。相変わらず「ヴェニスの商人」から「オセロー」まで混同の極みでジュリエットとの会話がすれ違う。役立たずのロミオから解放されるには、と相談するが、セックスのないのは離婚の根拠にならないし、結婚当時のセックスを少女暴行に仕立てようにも、たった一晩だったとはいえ、あれは婚姻の夜だったから正当だし・・・・。ジュリエットがふと気付いたのは、シェークスピア原作以来神父がずっと持ち歩いている毒の小瓶。奪うがはやいか、「ロミオが帰ってきた!」と叫んで体よく神父を追い返し、マクベスの魔女のシーンを口ずさみながら毒をワインにまぜて、退場。

写真9 写真10

シェークスピアが登場して、「この茶番もそろそろやめだ。ハムレットの父の耳から毒をとってきたからこれであの二人を死なせて幕だ!」と歌う。リチャード三世の声色でロミオに「大切な知らせがある」と告げ、たくらみ通りカピュレット夫人(ジュリエットの母)が階段で足を滑らして亡くなり、ロミオ夫婦に遺産が相続されることを伝える。「あやうく離婚するところだった」と胸をなでおろすロミオ。さらにシェークスピアは「これでジュリエットも死ねば遺産は全部おまえのもの」と唆し、毒瓶をロミオの手に押し付ける(写真9)。さすがに怖じ気付くロミオ。「彼女は私の子の母ですよ」「かもしれぬな。しかし父は果たして誰なるや・・・・?」ロミオの悲嘆。

そこに、大胆にも花嫁衣装をまとった乳母が登場。首尾よくカピュレット夫人を始末したのだから約束をはたせと、ロミオに迫る。「これが私の創造した乳母か」と目を疑うシェークスピア。大混乱の三重唱(写真10)。乳母をようやく追い払ったロミオが退場すると、シェークスピアはルクレツィアを呼び出す。既に旅支度を整えていた娘は、あっさり置き手紙して巨匠と逐電してしまう。「肉の欲求に精神は敗北するもの。これこそが人間の悲劇也」と、立ち去り際にシェークスピア。

写真11
写真12

ロミオが戻り毒をワインに混ぜる。やがて物音がしないのを訝って娘の部屋に入り、家出にきづく。ジュリエットを呼んで二人で悲しみにくれる。さぁ気を取り直して、と例のワインを取り出す。ジュリエットの方も例のワインをロミオにすすめる。お互い、自分のワインは飲まないで様子を覗い合う(写真11)。勧められるままに相手の注ぐワインを飲み、次第に酔いが回って呂律も危うくなる二人。「いい加減に白状しろ。ルクレツィアは誰の子だ」「あんた、娘がどこ行ったかわからないって最中に、どこから来たか聞きたいっての?」「じゃ私が真実をはなそう。あれはお前の娘じゃない。俺が他の女とつくって、お前のところに『差し込んだ』のだ!」「本当っ?、やった!ついに離婚の口実ができたわよっ」「離婚だって?!」。音楽はそのまま泥酔の二重唱になだれ込む(写真12)。

29年の役立たずをあげつらうジュリエットと遺産が台無しになるので離婚を拒むロミオ・・・とはいえ泥酔の二人のはなしに脈絡はない。ベットに倒れ込んで音楽が止むと、ふたりはやおら素面の面持ちで起き上がり、29年前のバルコニーシーンのセリフを再現しはじめる。やがて毒が回って苦しくなったふたりは大仰に倒れる。シェークスピア悲劇的結末。額縁から顔を覗かせて、自分の台本通りにいったことに満足するシェークスピア。

ところがこれは二人の茶番だったのだ。全部まるごと、シェークスピアをひっかける茶番。巨匠が額縁から消えるや、やれやれと起き上がって

「何が『目的は達せられた』だい。いつまでも作者の爺のいいなりになっていられるもんか・・・・」
「まったくだわよ。ところであんた、ワインに一体なにいれたのさ」
「お約束よ。貧乏劇場の毒薬はいちごシロップに決まってるさ」
「じょーだんじゃないわよ。水でうすめたでしょ、このしみったれ!」
「お前こそなんだいっ。大根買うなら買うで、少しは柔らかい大根買ってこいってんだ。喉につまるところだったじゃないか。」
「詰まりゃよかったのよ。ちょっとその腹、ひっこめなさいよ」
「これでも引っ込んでいるんだい。」
「だいたい食らい過ぎなんだからねっ」
「食らいすぎ?お前の料理でかい、アッハッハ」
「お前なんぞに言われる筋合いあるもんかっ!」
「高貴なるお言葉。シェークスピアの貴婦人にしてこのそのお言葉かいっ」
「あんたもシェークスピアも、もう沢山だわよ。それよりお手伝いさんなんとかしてよっ。ちょいと聞いてんの? さもなきゃ縁切りだわよっ」
「縁切り、縁切り!どうぞどうぞっ」


・・・・・・という喧嘩で一幕最初につながり、中年夫婦の日常はまた繰り返される・・・。幕。





新聞評

....... Toru Tanabe als famoser Romeo herzt und besingt (in)bruenstig dieses vieldeutige Gummiding........In der beifallsprallen Premiere
uebereignete sie es dem Berichterstatter dieser Ereignisse. Danke.
Kein Bedarf. Oder: Bin ich auch schon solch ein Romeo ?.......
Durchdacht ist auch das Spiel des Romeo-Julia-Doppelpacks, wenn sich
Northmann und Tanabe beharken, im Erbe-Tango sich fetzen, um die
beruehmte Nachtigall oder Lerche streiten, sich in anderen Rollen
" verdoppeln" und sich dann faktisch als nebenbuhliger Pater Lorenzo
oder halb vertrocknete luesterne Amme in den (eigenen)
Romeo-Julia-Ehekrieg einmischen.......Wer zum Koshon geht, weiss meist, was ihn erwartet. In Halberstadt duerften die Erwartungen durchweg
erfuellt sein. Ein spritzig Geschichtchen wird spritzig gespielt, auch spritzig gesungen ! (Hermann Berger/ Halberstaedter Volksstimme, 17.3.1997)

ロメオ役の田辺とおるはまことに見事な出来だ。彼はこの多くを意味するゴムの代物を抱きしめ、性的興奮に満ちて熱烈に歌う。・・・・・その代物は、大喝采の拍手に沸いた初日、彼女(ジュリエット)がこの出来事の報告作成者(注・この批評の著者)に譲渡した。ありがとう。しかし不要である。それとも私も既にかくの如きロミオ同類項なるや?・・・・・・ノルトマンと田辺がいがみ合ったり、遺産相続のタンゴに熱中したり、有名なナイチンゲールかひばりかで争ったり、さらには別の人物をダブルで演じたり、すなわち(ロミオの)敵対者的なロレンツォ神父や半分朽ち枯れた好色な乳母として、自らのロミオ・ジュリエット夫婦喧嘩に介入したり、などによって巧妙にロミオ・ジュリエットのパロディーが演じられている。・・・・・キシュホーンの劇を観に行く人はたいてい、そこに何が待ち構えているか知っているものだ。そしてその期待はハルバーシュタットにおいて十二分に満たされるであろう。オシャレな話がオシャレに演じられ、またオシャレに歌われている!(ヘルマン・ベルガー,1997年3月17日付けハルバーシュテッター・フォルクスシュティンメ紙)


このほか、1997年4月26日付け東京新聞には、ドイツの地方劇場運営を報道するためにナイチンゲール公演を取材したドイツ特派員による記事が掲載された。(資料集の「ドイツの地方劇場・組織と運営」中にアップ済み